「沖ノ島」は「神の宿る島」と云われています
沖ノ島は、福岡県宗像市に属し、本土から60km離れた玄界灘の中間にポツリと位置している周囲約4kmの孤島です。ここ沖ノ島が他の島と決定的に違うところは、ここは人々が日常生活を営むことができる普通の島ではないという事です。
沖ノ島には、宗像大社の三宮のうちの一つ「沖津宮」が鎮座し、そこには田心姫神(たごりひめのかみ)が祀られ、島全体が宗像大社の神領とされています。そのため一般からは宗像大社の許可なく立ち入ることはできません。この島に滞在が許されているのはただ一人、宗像大社の神職が交代で常在し、毎日ここで神事が行われているのです。
また、その沖津宮でお祀りされている神様が女の神様であることからいま現在でも固く女人禁制(下注※1)が貫かれており、島への立ち入りは男性のみが許されます。年一度、日本海海戦の記念日である5月27日、参加を希望する一般男子の中から抽選で選ばれた約200人の男子が参加して沖ノ島で行われる現地大祭。基本的に一般が上陸できるのはこの際だけであり、また上陸の際には、裸になり海に入って禊(みそぎ)をしなくてはなりません(下注※2)。
このように、人々の神への信仰心や強い畏敬の念、また禁忌が往古から変わることなく脈々と受け継がれ息づいている地、それがまさに神の宿る島「沖ノ島」なのです。

▲上陸の際には、裸になり海に入って禊(みそぎ)をしなくてはならない

▲沖ノ島「現地大祭」の様子:大祭の前日に大島「中津宮」に参加者が集合し渡島安全祈願祭を行い大島で夜明けを待つ。翌27日に沖ノ島へ渡島し、国家・皇室の安泰と国民・参列者の平穏を願う祭典を沖津宮で行う
※1 昔は手漕ぎの船で島へ渡っていたため女性には過酷すぎる船旅だった、ということから女人禁制になったという説もある。
※2 沖ノ島に一般人が上陸することは稀だが、例外として毎年の現地大祭前に、宗像大社氏子青年部を中心とした若者たちが清掃活動を行うために沖ノ島へと渡る。また沖ノ島は、玄界灘のちょうど中間に位置するため沖ノ島近郊で漁をすることの多い漁師にとっては、突然の台風や荒天などの災害に見舞われた際に避難できる有り難い場所でもある。 以上のような事例に備え、島の港湾は綺麗に整備されているが、こうした際に寄港して上陸する場合にも、やはり社務所に許可を取って禊をすることが必要。
「沖ノ島」が歴史的、学術的に高評価である理由
沖ノ島の沖津宮では、古くから、国家の安泰と海路の安全を祈って、大和朝廷による国家の繁栄と航海の安全を祈る重大な祭祀が行われていました。宗像大社復興期成会により1954年から3次にわたって行われた発掘調査の結果、その際に奉献されたとみられる鏡、勾玉、金製指輪など、約十万点にも及ぶ神宝が古代祭祀遺跡から発見され、それら関連遺物全てが国宝、重要文化財に指定されました。こうしたことから沖ノ島は「海の正倉院」と称されるほどに、全国的に脚光を浴び、人々の話題をさらいました。
(出土品についてはこちら→神宝館ページ)
また沖ノ島は、古来より神域とされていたため九州本土とは長い間隔離されており、さらに暖流である対馬海流の影響を受けていたため、多種多様で珍しい亜熱帯性動植物が生息する北限地として今も手付かずの自然が多く残っています。1926年には島の照葉樹のタブノキ原生林が「沖ノ島原始林」として国の天然記念物に指定されており、またオーストラリアや東南アジアから渡ってくる約10万羽のオオミズナギドリが生息・繁殖する地として、国の鳥獣保護区にも指定されています。以上のような野生生物の希少性から沖ノ島には、そこに足を踏み入れ島を離れる際には、沖津宮の「御神水」は例外として、島内の「一草一木」たりとも持ち帰ってはならない、という厳しい掟があります。
「沖ノ島と関連遺産群」ユネスコ世界遺産登録への推進運動

▲市民レベルの組織の発足やイベントの開催なども盛んに行われている
2002年、エジプト考古学者の吉村作治氏が提唱し「海の正倉院・沖ノ島いま甦る太古のロマン」と題してシンポジウムが行われ、九州全土、特に宗像地方を中心に沖ノ島を世界遺産にする機運が盛り上がって行きました。
2008年9月、文化庁が自然崇拝信仰の痕跡を残す考古学的な価値と今も祭事行為が継続していると沖ノ島を評価し、同年12月、政府が国内候補地に正式決定。 その後、2009年1月5日、福岡県と宗像・福津両市の共同提案し「沖ノ島と関連遺産群」がユネスコ世界遺産暫定リストに追加掲載されました。それを受けて、同県と両市は「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議を設置。
また市民レベルでも「私達の地域にある世界に誇る貴重な遺産を未来につないでいこう」とした組織の発足やイベントの開催なども行われ、多方面からの推進活動が盛んに行われています。











